先日、台湾人の友人が、日本の企業に就職できた、という嬉しい話を聞いた。
コロナ禍で、久しぶりに嬉しいニュースである。
でも、聞くと、就職前に内定者らで会話していると、その内容が「?」と思うことが多いらしい。
考えてみれば、日本人から、
「英語圏の文化って、なんで〇〇なの?」
っと聞かれることが多いが、実は、その反対で、日本の文化が特異であることのほうが多い。
日本の小学校を卒業後、ずっと海外の学校に行った私が、大学卒業後、日本の会社に帰国して、最初にビックリしたのが、
「え?お茶入れないの?」
と聞かれたこと。
<日本の会社は、女性社員にお茶くみをさせる>
という行為がよく女性差別の例として取り上げられるが、
私はそれ自体が女性差別だとは思わない。
新卒でなにも仕事ができないうちに、せめて会社の役に立とうとして、お茶くみくらい自主的にしようとするのは、なにも問題ないし、むしろそういう精神をもっている社員のほうがよく仕事ができるというのは、海外の会社でも当たり前。
ただし、「それをするのが当たり前」という肌感覚をもった日本人社員が多い、ということがむしろ問題なのだ。
ま、自分の慣れた環境で、いちいち「これはフツーなことなのか」と考えることのほうが難しいのかもしれないが、そんなふうにあえて立ち止まって考える、というクセをつけないと、案外本当におかしいことにぶつかったときに、おかしいと考えることができなくなる、危険性もある。
「むしろ自分の感じていることが、実は珍しい考え方なんだ、という考え方をもつことで、英語が上手くなることもある。」
と、留学した友人が言ったことがあるのだが、まさにこれは真実だと思う。
それは、<英語>というのが、多種多様な文化の集まりで構成された言語だからなのかもしれない。