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これが、まさに、日本人と英語人の違いです! – Part 2

先日のブログ(☛こちら)に、下記のようなコメントをいただきました:

いただいた、コメント:

それじゃあ、みんながずっと悪く言ってる、「小室圭さん」の話は、日本人っぽくないってことですか?

いただいた、コメント:

それじゃあ、みんながずっと悪く言ってる、「小室圭さん」の話は、日本人っぽくないってことですか?

実は。。私は、あの過剰なまでの婚約者叩きも、日本人らしいな、と思って見ていました。

小室圭さんと眞子さまの結婚問題、ここまで批判を浴びてしまう「根本的な理由」(島崎 晋)

国民が批判すべきか、黙って見送ってあげるべきか ー そういった論争は、今は横に置いておきましょう。

なぜ、これが【日本人らしい】と感じさせるのか。

そりゃあ、海外にもいます。

永遠と皇室のゴシップ記事を書き、それらのゴシップ記事を楽しそうに読み、自分の意見を永遠と繰り広げる人たち。☛特にイギリス人w

でも、楽しくて人の生活がかき乱されているのを楽しんでやってます。

そういう人は、世界中どこにでもいますよね。

それは、日本人も海外の人も同じ。

いつの時代も、他人のゴシップをネタに楽しむ人はいるものです。

でも、赤の他人のことで、結構突っ込んだレベルまで悪口を言って、【いいね】のほうが数が圧倒的に多く、それが数年も続くっていうのは、日本人ならではだなと思ってはいます:

秋篠宮と親交の深いジャーナリストが苦言「小室圭さんはいつまで眞子さまを振り回すつもりなのか」 | 文春オンライン

海外の人は、とにかく自分が大好きです。

それは裏を返せば、他人に関心がない、という意味でもあります。

そのため、このレベルまで、長期間にわたって「国民的な広い見地から見て意見を言ってるか」のごとく悪口を言い続ける人は、あんまりいません。

いや、もちろん海外にも存在はしますよ。

でも、恐らくそれを中心に生活が回っている、超人的な人たちです。

フツーの生活を送っている人は、毎日の自分の生活にやがて戻っていきます。

だって、所詮赤の他人ではないですか?

考えてみてください。

先日まで日本の首相だった、菅氏を同じくらい悪く言ってましたか?

「目が死んでる」「コロナ対策も全然だ」「いつも原稿棒読み」という批判はされてましたけど、批判をずーーーーっとされてました?

やはり菅氏への批判が小室氏への批判ほど大きくならなかったのは、やはり菅氏が「赤の他人」だったからだと思うんです。

皆さんが、菅氏を「自分」と比較し得る対象として見ていなかったということです。

それだけ、赤の他人にはみんな関心がないはずなのです。

逆に考えると、「小室氏」を赤の他人として捉えていない人が多かったと言えるのではないでしょうか。

友人とこの前、この話をして盛り上がっていたとき、ふと私の友達が言ったコトバ:

みんな、嫉妬してるんだよ。フツーの人に、大金が入るんだから

ある意味、これ、当たってるのかなと思いました。

本当に、日本国のことを考えて批判してるんだ!と言われる方がおられたら、誠に申し訳ありません。

でも、フツーのサラリーマンをしながら、フツーの赤の他人が、ここまで「国民として〇〇だと思う」という批判を繰り広げるのは、日本人ならではなのかな、と思って見てしまいます。

皆さんは、いかが思われたでしょうか。