帰国子女の私が、日本語と英語の決定的に違うな~と思うところは、どこか?
単語の並び順?
英語はS+Vだけど、日本語は文の最初にS+Vがくるとは限らない。確かに。
アルファベットだけの英語 vs. カタカナ・ひらがな・漢字がある日本語?
まあ、日本語は外来語も上手く取り入れる文化ですからねぇ。確かに、これもある。
でも、私にとって、2つの言語の決定的な違いはなにか?
それは、
日本語には主語がないことが多い
という点です。
英語は、S+Vとある程度、並び順が決まっているため、自分の感情を説明するとき、
“I think…“ や、
“I hope…“といったものが、文章の頭につきます。
英語を話す人の頭の中は、
5W1H(What、Where、When、Why、Who、How)が
ハッキリしているんです。
だれが、その言葉を発したのか、
なぜ、そんなことを言ったのか、
どういった場面で、〇〇をしたのか、
すべてがハッキリしていることが多いです。
だから、責任の所在がハッキリしています。
それもあって、契約書など、あとからモメることが多い分野で、日本語はあまり適していない、とよく言われることがあります。
でも、日本語は、すべてに白黒ハッキリつけない、曖昧なところが、
人に優しい文化をよく表している、という説明を聞いたことがあります。
でも、私は、それは、詭弁だと思っています。
白黒ハッキリつけないため、逆に日本語で話していて、とても傷つくことが多いのは、私だけでしょうか。
「私は、あなたが間違っていると思う」
と言われれば、
「私は、そうは思わない」
と返せるのですが、
「そんなの難しいって最初からわかるじゃん」
「そんな夢物語なことを言って。もっと冷静になって」
そんな主語がない文章を、日系企業で投げかけられて、
何度傷ついたことか(苦笑)。
と思っていたら、
同じ考えの人を発見!
そもそも、日本語のNOは、ひどすぎる。
『夫婦のトリセツ 決定版』(講談社+α新書) pp.115-116
「そりゃ、ダメだよ」「無理に決まってる」「バカなこと言わないで」・・・・・・そんな一人称主語(私は、僕は)のない否定文をパートナーに使っていないだろうか?
日本語は、日常会話の大半に、主語をつけない英語の「I think(私は思う)」や「I wonder(私は案ずる)」に当たる部分がたいていは省略される。相手を否定するときも、いきなり「無理」「ダメ」を突きつける人は多い。
主語がないから、相手の脳の中では、暗黙の主語がつく。「世間」つまり「普通」である。相手には、「普通、ダメだよね」「みんな、無理だと思ってるよ」というふうに聞こえる。つまり、世間を笠に着て、上から目線で、全否定してくるように聞こえるのである。
このセリフを言った人が、1秒もこっちの気持ちになって親身に考えてくれてなんかいないのもわかってしまう。
と、黒川先生が語っていました。
「曖昧であること」のほうが優しいと勘違いしている人が、この国には特に多いです。・・・いや、多すぎです。
実は、ハッキリさせていることが、
よっぽど優しさが伝わることも多いのです。
そして、そう思えれば、
英語でまくしたてる人を、あまり怖がらずに済むこと、請け合いです。