転職ストーリー①最初の就職現場を見つけるまで

こんにちは!長年、海外に住み、日本に帰国後、英語を教える帰国子女の、スグリンガルです。

帰国子女という立場で、日本に帰ってきてから就職して、とんでもないことになったというストーリーをご紹介します。

今現在就職活動をしているヒトに、少しでも参考になれば幸いです。

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海外の大学から帰国したのは2003年でした。

当然のことながら、海外にいた間は就職活動ができなかったため、帰国後の就職活動になったわけですが、就職活動が本当に大変な「活動」になることを、帰国後初めて知った私でした。

そもそも海外では、「就職活動」なるものがありません。

“Shushoku Katsudo:” Japan’s Bizarre Post-College Job Hunting Ritual

↑タイトル:”Japan’s Bizarre Post-College Job Hunting Ritual
bizarre = 奇妙な
post-college = 大学(卒業)後の
job hunting = 職探し
ritual = 儀式


こんな形容詞や名詞で書かれるくらい、奇異なものに、外国の人には映っています。

海外では、みんな大学が終わるまで必死に勉強しています。

私の大学でも、初年度だけで入学者の半分は単位を取れずに脱落していく中、就職のための活動をしているヒマは、とてもありませんでした。

日本に帰ってきて、「求人広告確認→応募→書類選考に落ちる」を毎日繰り返すこと、半年。

書類選考を通過しても、そのあとの面接では必ず落ちていました。

「あれ~、海外の大学出てるんですか。じゃあ、英語はペラペラですね~」

「英語がペラペラな以外、他にどんな特技が?」

「〇〇さん、英語もしゃべれるんですから、うちみたいなところ、来なくても、もっと良いとこあるでしょう」

「〇〇さん、うちに就職しても、お茶くみとかしたくないでしょ?続かないと思いますよ」

日本人が言う「英語ペラペラ」という表現、実は苦手です。羨望のまなざし羨ましさの感情が表れているとともに、どうせ日本社会は大したことないと思ってるんだろ、という相手の感情も見え隠れしていると感じたからです。今思えば、甚だしい自意識過剰ですがw でも、当時はそう思ってしまわざるを得ないくらい、どこにも採用されなかったんです。50通?いや100通は書類を送ったような覚えがあります。

毎日どこかに応募していました。

いまだに、求人広告を見かけると、当時のことを思い出して、胸がきゅんとします。

やっと採用された会社は、まだ立ち上げたばかりのベンチャー企業。PRという、今ではお馴染みの業種ですが、その当時は、「宣伝広告代理店となにが違うの?」と言われるような業種の小さな、社長一人の企業でした。

※広告代理店 と PR会社 違いを知ってる?

広告代理店advertising agency=放送や出版される書籍、メディアといった媒体で広告をうつまでのプロセスを担う会社
PR会社public relations firm=広報を専門とする会社。広告をうつのではなく、その名のとおりpublic relations(公的な存在としての社会でのイメージ)を上げるための情報発信が主な仕事

その社長も脱サラしたばかりの社長なりたての男性で、今思えば、若かったなぁと思います。考えてみると、あの時の社長の年齢、今の私に結構近いのです。

一人社長の会社でしたから、まあ、経理、事務、翻訳、通訳、全部することになりました。

ですが、考えてみてください。新卒の女の子ができることって限られてますよね。しかも相手もヒトを使ったことがない一人社長。ハッキリ言って使い物にならなかったと思いますよ。

だからなのか、それとも会社の社長になったことがそんなにうれしかったのか、その社長はことあるごとに

「お茶、入れてもらってもいい?」

と私にお茶を入れさせてました。私も、それまで「お茶くみができる?」と面接でいつも訊かれていたため、意地になっていたのでしょう、毎日お茶を入れていました。

まるで、お茶を入れることが、帰国子女というレッテルの免罪符であるかのように。

ですが、いろいろあって、その会社、私が働き出して4か月で倒産しました。

いや、私のせいじゃないですよ。そんな、なんのスキルもない私が、貢献と呼べるような貢献をする前に、すぐつぶれてしまいました。

私が最終日に会社を出ていくとき、社長が私に言ったコトバ:

「〇〇さんは、今度はお茶くみをさせられないところに就職しなよ。あ、でも会社員がそもそも難しいかもね」

。。。

このときだけはさすがに凹みました。

自分の会社が潰れたって嘆いているヒトが、最後残すコメントはお茶くみの話かよーと。

しかも、まがいなりにもPR会社です。会社の危機管理についてコンサルする企業です。会社のメディアトレーニングを教える立場なわけです。他人のコミュニケーショントレーニングをする会社なのです。

。。。

ここから学んだ教訓は、3つです:

日本の男性が言う中身すべてを信じる必要はない、ということ。

ため口で話す男性が自分は苦手だということ。

日本人の言う、「PR」、「コミュニケーション」、「パブリック」といった横文字(カタカナ)は、英語で言ったときのニュアンスと違うということ。

こんな感想しか抱けなかったものの、これらの3つは今の今まで大切にしてきた感情です。これらの感情は、それ以後の就職活動をする上で助けになったとも感じています。

だから、皆さんも就職活動が上手くいってないとき、どんなに自分に自信がなくても、自分が大切にしている感情をないがしろにはしないでくださいね。そうしておいてよかったと、思える日が必ず来ますから。

転職ストーリー①最初の就職現場を見つけるまで」への2件のフィードバック

  1. ピンバック: 転職ストーリー②また就職活動を試みるも・・・ | Asuka's Sugu-lingual

  2. ピンバック: まとまった休み中に行う自分の棚卸 | 電子・光機能材料研究室/東京電機大学工学部電子システム工学科

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