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「飲み会をゼッタイに断らない女」は、日本を代表する女になってほしくない、帰国子女の言い分

飲み会を絶対に断らない女」として知られた山田真貴子内閣広報官が「体調不良」を理由に辞職した。菅首相に可愛がられたものの結局邪魔になったら、首相に切り捨てられたと言われている。

彼女は、辞任前、幸運をゲットするための必要な力として、「飲み会を絶対に断らないこと」をあげていた。

※「飲み会を絶対に断らない」=
直訳:never refuses a drinking party
意訳:always accepts when offered a drink
(”drink“で飲み会だけでなく、なにか誘われたとき全般を含む)
かなり意訳:follows just about all the unspoken orders
(”unspoken orders” = 「コトバにされない要求」、すべてに応じる、の意味)

幸運を引き寄せるために日うような力
=出世階段を上ること
=幸運にたどり着く「モノ」や「ヒト」と出会う機会を逃さないこと
飲み会を絶対に断らないこと

というロジックだったらしい。

ゴリゴリの男性社会で生き残ってきた、彼女なりの処世術だったのかもしれない。

確かに、この処世術は、どんなに男性社会の色合いが失せてもある程度真実味を帯びている。合コンが嫌いでもそういった集まりやイベントに出かけていくことで、出会いのチャンスがあり、結果的に結婚する可能性も高くなる、というのと似ている。

但し。

これは、能力があるというのが大前提。

どんなに素晴らしいチャンスや人物に巡り合えても、能力がなければ最終的に人生はとん挫する。それは、どんなに出会いの場に出かけていって結婚しても、性格が悪ければ結婚生活が破綻するのと同じ。

山田氏にも、「成功する力」として、これも言ってほしかった。だから、日本の女性は、いつまでもバカにされるのよ。どんなに「ヒト・モノ」のめぐりあわせがラッキーでも、能力・努力がなければ結局報われない、と言ってほしかった。それとも、これをあえて言わないことも、トラディショナルな日本の男性を代表する、森喜朗氏の「わきまえている女」の定義に含まれるのだろうか。

くしくも、先日3月8日は、International Women’s Day (婦人解放の記念日)だった。1904年にニューヨークの女性労働者が参政権を求めて集会を開いたのが始まり。ここから100年以上経過したが、このときのニューヨークの女性の気概に負けない女性が、今どれだけ増えたのだろうか。